「Qアノン」

なんかあれなんだ、ニュースにまで出てくるようになって、メジャーマスコミのタガが外れた感が強くする。どうもこれ、日本で言うなら2ちゃんのまとめサイトとか、ああいう物件のことで、それがネット上でSNSを介してけっこうな数の人に影響を与えているから問題だ、みたいなことのようだが、ニュースで取り上げられたりすることによって、無い実体を与えられてしまってきてないか? そこまで大げさに言うようなことなのだろうか? 2ちゃんと共生してきたニッポンネットユーザーとしてはたいへん違和感を覚える事態が英語圏で起きているようにしか見えないのだが。

 前回の大統領選でトランプが勝利したときも、にわかにインターネット上のうろんなサイトの影響力がジャーナリストによって大きく取り上げられていたけれども、あれもとりあえず事情を説明するためのネタを拾ったみたいだった、アメリカの有権者はそんなに保守速報から影響を受けるのかね、投票した人ひとり一人に話を聞けば「なんとなく……」まで含めて、けっきょく自分で入れようと思った候補に入れましたという話にしかならないだろうに。

 こういうのを見ると、かなり前の記事だが、ブログ「わたしにも話させて」の、この記事を思い出してしまう。

watashinim.exblog.jp

こうした、大衆への「メディアの影響」を憂える言説は、左右問わず、当のメディアが最も好むものである。こうした言説は、自分たちは大衆への強い影響力を持っている、という自己肯定の言説だからだ。

ネットサイトの大衆への影響力を過大視するのも、この思考からの派生形だろう。

 香山リカ『テレビの罠』(ちくま新書)は小泉郵政選挙について語ったものだったが、読んだときに違和感が大きく、もともと香山リカ先生は時評みたいなのは不得手だからなあ、と、思ったんだけど、これも小泉郵政選挙の結果は大衆がテレビに流されたせいだ! みたいな論調で、林真理子中野翠が当時の小泉現象の妙さを自分なりにとらえて記しているのにくらべると、紋切型のモノの見方に乗った”エッセイストとしての才は乏しいのになぜか雑誌でよくエッセイを書いているインテリ”の典型に見えた。

 小泉郵政選挙についての記事も、ブログ「わたしにも話させて」に出ている。

watashinim.exblog.jp

ただ、私は「若者と女性がメディアに騙された」とは考えない。むしろ、彼ら・彼女らにとって、自民党に投票したのは合理的な政治行動だと思う。若者と女性の共通項は、「無知でメディアの影響を受けやすい」ではない。彼ら・彼女らの企業社会や会社での位置が、周辺的な点にある

 

 

SNSではマスコミ批判が目立つけれども(米大統領が先頭になってやってるけども)

根っこには、「大衆はこうだからぁ~」という、インテリ仲間同士では話のつなぎになるような見立てが、現実には外れまくっていて、立場上エライ人の言う事に反駁できないままぴんとのずれた見られ方をしているのを見せつけられる側にはうっぷんがたまっていて、それがSNSの普及と共にネット上にも多量にもれだしてきているのではなかろうか。

 

昔の2ちゃんねるは下品な悪場所ではあったが、まだインターネットを利用する人が大勢ではなかったので、文字通り悪場所として在れたけれども、携帯の普及に伴って広がったインターネット利用者の増加・一般化によって、なし崩しの変化に加速がつく一方のようだ。

 

桐野夏生『日没』は、そういう変化への小説家からのひとつの応えなのだろう。