『世界』2022年5月号 目取真俊「斥候」

 

 

 九十歳を過ぎた元護郷隊員に、国民学校で同級生だった男性の訃報が届き、戦中戦後の記憶がよみがえりはじめる。……
 九十過ぎの男性が思い返す来し方にはそのときそこで生きていた人々の姿があります。その情景が過去から現在に至る流れを生々しく脈動させ、語られなかったことどもの堆積の上に現在があることを実感させられます。
 語ることができなかったものを、それができなかったことも含めて伝えることが小説にはできるということになるのかもしれません。
 『世界』5月号で読んでみてください。
 
 この小説の中では、沖縄の人の語りが日本語の表記に沖縄での発音のルビをふる形で表されていて、ルビにならって沖縄の話ことばを口に出して読んでみると、なんとなく沖縄風の話し口がわかってきてその場面の登場人物の台詞が聞こえてきます。西日本の人ならわりと真似しやすいのではないかと思われます。(沖縄の人が聞くと、抑揚とかの面でぜんぜんだめになるのかもしれませんけどね……)
 アラビア語は書き言葉であるフスハーと、各地域の話し言葉がかなりちがっていて、フスハーの勉強がしやすいのですが、NHKでの話言葉の講座もずいぶんフスハーとちがうんだなあというのも含めておもしろいんですよ。話ことば、フスハーとかなりちがうとはいってもアラビア語ですから、フスハーで言えるようになっていると、話ことばも口に出して言えるようになると話ことばでの言葉の感覚が分かってきます。
 沖縄のことばですが、口に出して発音してみると、言うまでもないことですが英語フランス語アラビア語よりは、ずっとずっと日本語に近いです。だから言葉としての感覚は何度か台詞を発音してみるとわかってくる感じがあるんですよ。
 そういうところもおもしろかった小説です。