村上龍『ユーチューバー』幻冬舎

書き下ろし中編『ユーチューバー』と、その前章ともいえる短編からなる。
 主軸となる『ユーチューバー』は、自称“世界一もてない男”が四十を前にして会社を辞めユーチューバーになり、3時間近いゼレンスキー批判動画をアップするも注目されず、閲覧者数を増やしたい一心で、ホテルのプールでことばを交わしたことのある有名作家・矢崎に会いに行き、自分が作るユーチューブに出演しないかと誘う。
 「ユーチューブも年寄りのものになりつつあります。FB、つまりフェイスブックやインスタグラムはもう完全に年寄りのものです。だからチャンスなんです。年寄りのものになりつつあるってことを自覚しているユーチューバーはいませんから」
 「よくわからないな、ちょっと部屋に来る?」(p.10)
 矢崎は興味を示し、“世界一もてない男”が制作するユーチューブに出て、女性遍歴を語ることになった。……
 
 有名作家・矢崎は村上龍が色濃く投影された登場人物で、実録ものに加工された私小説を読む気分で楽しめる。ユーチューバーの存在がいい按配で矢崎を客観化し、全体に抜けのよさのある中で村上龍節を堪能できる。視覚音感を満足させる日本語の旨味。
 短編『ホテル・サブスクリプション』『ディスカバリー』『ユーチューブ』は、コロナ禍の東京のホテルのスケッチにもなっている。
 若くして天才作家として世に出た矢崎も、七十を迎え老境に入った自分を意識せざるを得なくなり、ものの見方見え方にも若い頃にはなかった遠近感が出てきている。「猫も杓子も年を取る」というのは田辺聖子『猫も杓子も』の一節だが、この本は矢崎がユーチューブで見た昔の映画の一場面で終わるせいか、ジョン・ヒューストンの映画「アスファルト・ジャングル」を思い出したりした。しかし老いという現実に触れても基調は向日性の健康さがあり、やみくもに沈み込んだりはしないのだ。ヤマブキ色の装丁がこの本をよく表していると思った。

 

 『ユーチューバー』が矢崎が知り合った男に自分が過去に体験した女性との関わりを語るという趣向だったので思い出したのが、メリメ『カルメン』。これもドン・ホセが知り合った男にカルメンのことを語る形になっていた。この『カルメン』で印象深いのは、カルメンがドン・ホセに最後通牒をつきつける場面の台詞。

-Tu aimes donc Lucas? lui demandai-je.
-Oui, je l'ai aimé, comme toi, un instant, moins que toi peut-être. À présent, je n'aime plus rien, et je me hais pour t'avoir aimé.

「じゃあ、ルーカスのことが好きなのか?」と私は彼女に尋ねました。
「そうよ、あんたのことと同じように、あの人のことがちょっとの間好きだったわ、もしかしたらあんたほどではなかったかもしれないけれど。でも、今は好きなものはもう何もないの。あんたを好きになってしまったのを後悔しているわ」

(引用元:NHKテキスト『まいにちフランス語』2021年8月号 p78-79)

 

 このカルメンの台詞、劇中ではドン・ホセとの恋愛関係をめぐっての話になっていますが、この台詞だけ取り出すと、わりと汎用性のある心情が濃縮されて表現されていると思いませんか? 性別問いません、恋愛に限りません。一時期あんなに心とらわれていたのに、今考えると何であんなことをしていたのか自分でもふしぎだ、ということは、誰にでもあったりするでしょう。
 それと、演歌は男に捨てられた女の哀しい心情を歌ったものが多いですが、カラオケで男性がそういう演歌を歌うときは組織に裏切られた自分の気持ちをかぶせて歌い上げてるんだと言われたことがあって、まあそういうこともあるのかもしれないというような説ではありますが、歌や物語はそういうことができるのもいいところではありますよね。