「つくる会」は進歩派市民運動のキッチュなパロディを演じている

つくる会」のごたごたを外から眺めて笑うのは簡単だが、市民運動はどこでも似たような問題を抱えているのではないだろうか。左派だか進歩派だかが主導している市民運動は、これまでなら社会問題に関心が出てきたらこちらの運動に寄ってきていたような人たちがなんであちら側に行ってしまうようになったんだろうということを考えないとやばいのではないか。すでに「つくる会」風味はめずらしくもなんともないくらいにはなってしまったし。
つくる会」は教科書の採択率が目標を大幅に下回ったことで運動の成果がなかったとされているようだが、私はそうでもないのではと思っている。「つくる会」が広めたがっている大東亜戦争の評価に違和を持たない感覚は確実に一般化しているし、教科書も「つくる会」の教科書を採択すると抗議がきそうなので「つくる会」版は避けてそれよりややマイルドなものを採択しておこう、みたいなことは起こっているのではないだろうか。従来よりはやや右寄りなのが主流になってるのではないか。