http://www.jcp.or.jp/publish/teiki-zassi/zenei/zenei.html
特集は東日本大震災。高橋千鶴子「被災者の実情・要求 いま政治がなすべきこと」がトップ。続いてフォトジャーナリスト・森住卓の双葉町レポート。
柳町秀一「東日本大震災下の福島原発災害」は、今回の原発事故と、ここにいたるまでの日本の原発行政を取り上げている。これを読んでいると、電力会社や国は「安全神話」というのを一般人向けの広報戦略としただけではすまず、自分たちも半ば本気で信じていたのではないかと疑いたくなる。事故の危険を心配する識者からの事故対策に関する提言は続いていたが、電力会社も国もまじめに受け止める気がなかったとしか見えない。
柳町によれば「日本は、苛酷事故を国の既成対象から外し、国としての苛酷事故対策も緊急時計画ももっていない。菅直人首相は日本の原発行政の現実を自覚していない」ということだ。
いま私の手元に、「IAEA安全シリーズ」の「原子力発電所の安全基準」(「政府組織」「立地」「設計」「品質保証」「運転」の五部からなる)の日本語訳文書(1990年7月、原子力安全研究協会)がある。英文の原文にない「iv頁」(別図参照)*1が挿入されている。「IAEAのプラント状態の定義について」の文章である。「プラント状態の定義」について、IAEAと日本ではその区分が違うという紹介である。紹介文はわかりにくいが、要するに「シビアアクシデント」がIAEAの区分では「事故状態」として明確に規定され、公的規制の対象とされているのに対して、日本の区分では、国の規制対象から外され、電力会社の「自主的活動」とされていることである。この区分の相違は重大な相違であるが、同ページの説明文では「IAEAの分類と幾分相違」と書き、国内向け原発と輸出向け原発の違いの案内をしているのである。
この文書が刊行される相当以前に、日本では、「シビアアクシデント」を国の規制対象から外すことが体制化していたことを示している。
(引用元:柳町秀一「東日本大震災下の福島原発災害」『前衛』2011年5月号)
この記事では「原子力政策大綱」の見直しが求められるとし、米オバマ大統領の「核兵器のない世界」をめざすプラハ演説がきっかけとなって話題にされはじめた「トリウムの民生活用」も取り上げられている。日本の原発はアメリカのウラン濃縮工場の経常運転の確保への補完的役割を担ってきたが、これまでは軍事技術開発が重視されトリウムの民生利用への研究開発が後回しにされてきた。今回の福島原発事故をきっかけにして、ウランからトリウムへの革命が起こるのではないかと書かれている。
くわしくは『前衛』5月号をお読みください。
森秀樹「議員定数削減問題の表層と深層」にも注目。震災ニュースのかげでこっそり比例定数が削減されてはたまりません。
*1:『前衛』2011年5月号 p35 に図が載っている