ある新聞の読み方

『世界』2014年10月号からの新連載 http://www.iwanami.co.jp/sekai/
小熊英二「生きて帰ってきた男 ある日本兵の戦争と戦後」
1925(大正14)年北海道に生まれた小熊謙二という元シベリア抑留者の聞き取りから、その戦前・戦中・戦後を描いたもの。第一回は「入営まで」で、昭和初期の頃の市民生活が読めておもしろい。小林信彦が少年時代を書いた作品を思い出したが、こちらの主人公・小熊謙二は小林信彦よりは年長で、見えた風景も異なっている。でもどちらも洋画好きなのですね。
くわしくは『世界』を読んでいただくとして、ちょっと印象に残った部分をメモしておきます。小熊謙二が早稲田実業に通っていた頃、商事担当の塩清という教師がいて、株式投資の著作もある江戸っ子でいつも着流しの和服、授業中も雑談が多く、異色の存在だったそうだ。その塩先生が新聞の読み方についてこう語ったという。

この教師の話のなかで、ことに謙二の印象に残ったのは、「新聞は下段から読む」ということだった。言論が統制され、新聞紙面には、日本やドイツの勝利を印象づける見出しが踊っていた。しかし「塩先生のアドバイス通り」に読んでいると、ちがった側面が見えてきた。
「国際面がとくにそうだったが、新聞で大見出しが目につく一面の上段には、ドイツ勝利の記事が載っている。ところが、下の方の目立たないところに、ドイツの不利を伝える記事が小さく出ていた。記者の方も、そういう形で真実を報道しようとしていたのだろう。塩先生は『新聞に読まれてはいけない。新聞の裏をみなさい』と言っていた。この習慣は、後々まで役に立った」
(引用元:小熊英二「生きて帰ってきた男 第一回 入営まで」岩波『世界』2014年10月号 p275)

いまはもう新聞を読むという習慣が消えようとしているのかもしれませんけれども、こういう話を聞くと、新聞を読むという文化もいいものではないかと思います。また、戦時中といってもいろいろな人がいて、けっして一色ではなかったのだという、いわずもがなのことなようで忘れられがちなことも見えてきますよね。
ぜひ、『世界』で読んでみてください。
それと、映画ファンには小林信彦『一少年の観た「聖戦」』(ちくま文庫)がおもしろいかも。

一少年の観た「聖戦」 (ちくま文庫)

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