ナチズムには「イデオロギー」というものは本来欠けている

ホリエモンのせいで子どもの頃百科事典を見るのが好きだったことを思い出してから目的もなく時々開いてみるようになった。うちにあるのは平凡社の1974年度版でぼーっと見ているだけでなにかレトロな気分に浸れる。
そんなまったりとした気分で「ナチ」という項目を見てみたのだが、ちょっと目についた部分を引用してみる。

<イデオロギー>というものを、なんらかの最低限度首尾一貫した論理構造をもった体系的なものと定義すれば、ナチズムには<イデオロギー>というものは本来欠けているといってもよい。その時々の政治情勢の中で自己の勢力あるいは権力を強化したり維持したりするために最もつごうのよいことを強調するのがナチズムの本質だからである。またナチズムのイデオロギーが、反ヴェルサイユ体制、反議会主義、反デモクラシー、反資本主義、反マルクス主義反ユダヤ主義、反国際主義ともっぱら否定形を通じて主張されているのも事実である。この能動的ニヒリズムには本質的に建設的契機が欠如している。ただそれにもかかわらず、状況によって操作される矛盾だらけのナチの言説の中にいくつかの不動の原理的な主張があることを見失ってはならない。ナチ党の唯一の綱領である25ヶ条の綱領(1920年2月)の中に、われわれはそのようなものとして、a.非合理主義的・疑似生物学的な民族主義、b.反ユダヤ主義、c.小市民的<社会主義>の三つを見いだすことができる。
(山口定)

この三つの主張のうち、c.小市民的<社会主義>は、労働者階級の支持をとりつけるためにデマゴギーとして利用されたが、ヒトラーが権力掌握のために資本と取り引きを行うのには障害となるものであったため、後に<社会革命派>の中核は党から追放されたという。
ナチ党の支持者については都市部の中間層と青年層が相対的に比重が高い。
当時のドイツの社会背景をよく知らないままこれだけでなにかわかった気になってはいけないのだろうが、ドイツのその時代に書かれた小説やその時代を舞台にした小説や映画、また日本の戦前戦時中の話でもいいんだけれど、そういうものを読んだり見たりして思うのは、ファシズムなんてのは、そうなろうしてなっていくものでもないし、またファシズムの渦中にいる時も自分がどうなってるのかなんていうのはよくわからないのだ。後になってその当時を振り返ってみて「ああ、あれがファシズムだったんだな」と思う……一般人にとってはそんなものなのだろう。
ファシズムに限らずそんなものなのかもしれない。