路上生活者連続襲撃事件続報

逮捕された男が供述をはじめた。
「男性襲い殴った」と供述/連続襲撃事件の報道に関心 - 四国新聞社
このニュースを聞いてなんで村上龍を思い出したのだろうと昨日書いた日記を読み返して思ったが、大晦日の朝生で猪瀬直樹が「日本は大きな物語がなくなって」云々と語っていたのが妙にひっかかっていたからだと気がついた。
村上龍だが、昨日は巫女的ななどとちょっと大げさすぎる言い方をしてしまっているけれど、若い女の子は大人にくらべると鋭敏に時代の風や世の流れを感じ取って若い女の子独特のやり方でそれを体現し、社会の風潮の変化を表してしまうところがある。村上龍が社会の変化を表すのもそれに近いやり方であって、評論家とは異質な表し方になる。
大きな物語」とか「危機意識を持たないと」とかいう言い方は、村上龍の小説や、インタビューを受けた時の発言によく出てきた言い回しなのだけれど、その場合は小説家村上龍はこんな風に感じ取っているのだなと自然に受け止めることができる。
だけども、同じような言い方で政治家や評論家が日本の状況を説明していると、なにか奇異な印象を受ける。「この人、本気でそう思ってるのかしらん」と疑いたくなるというか。
政治家や評論家には、小説家とはちがった形での、日本社会の状況説明を聞く方は期待しているのではないだろうか。仮に村上龍の小説を真に受けて、あのファンタジーを乱暴に現実世界に接続しようとしているのなら、それマジであぶないと思うし。
小説に絡んで想像をふくらませると、例えば「つくる会」は『五分後の世界』に出てくる "アンダーグラウンド" をこの現実の地上世界で安易に実践してしまおうと夢想しているようにも見え、そうなるとあのオウム真理教とほとんど変わらないやんかと思ってしまう。